一時期は立ち上がるのも困難だった天祢涼のぎっくり腰。いまはほとんど痛みもなくなり、ジョギングも再開、再発防止のためリハビリ中です。
「軽度」と診断されたとはいえ、最初のころは本当に痛かった。それでも椅子に座って、小説を書き続けました。というより、書き続けずにはいられませんでした。タクシーで病院に駆け込んだ初日すら、帰宅後は「ここまではどうしても書きたい!」と必死に机にかじりつきましたからね。
自分でも驚いたのですが、思ったより小説を書くのが好きだったようです。
ぎっくり腰は災難だったけど、それがわかったことはよかった。「この小説はぎっくり腰に苦しみながら書きました」という宣伝もできるしね。めでたしめでたし……
とはいかないんだな、これが
ぎっくり腰の痛みがひどかった最中、天祢涼はテンションがおかしくて方々でこんなことを書きました。
これによって、「この小説はぎっくり腰の最中に書きました」と宣伝した時点で「この小説では誰かが死にます」と宣言していることに。
天祢涼の小説はミステリーが中心なので、大抵の話で誰かが死んでいるのは事実。でも「死亡シーンをノリノリで書いた」となると、お亡くなりになるのが主要人物であることは確実。第一、第二の殺人シーンをノリノリで書くミステリー作家はいないでしょう!←個人の見解です
これを前提に考えると。
例えば、「『境内ではお静かに3(仮)』はぎっくり腰に苦しみながら書きました!」と宣伝した場合(あくまで「例えば」です)。
神社お仕事ラブコメミステリーのくせに主要人物が死ぬという盛大なネタバレをやらかすことになります。
例えば、「仲田シリーズ3作目『House of M(仮)』はぎっくり腰に苦しみながら書きました!」と宣伝した場合(これもあくまで「例えば」です)。
「主要人物が死ぬ」と予告しているに等しいわけだから、仲田か真壁が死ぬかもしれないことになります。
ノンシリーズでも同様。読む前から「主要人物の誰かが死ぬんだな」という先入観を持って読まれてしまうことになる。
というわけで結論。
ぎっくり腰に苦しみながら書いた小説のタイトルは非公表
この先、天祢涼が世に出す小説のどれかだと思ってください。
ああ、余計なことを書かなければよかった……_| ̄|○