時々書いている「小説家は…」シリーズ。
今回は自分のキャラを「俺の嫁」「私の婿」と言っていいのか否かです。
こんなことを考えるきっかけになったのは、こちらの自分のツイート。
友風子さんから『境内ではお静かに 七夕祭りの事件帖』文庫版のイラストをいただきました。自分のキャラなのに「俺の嫁!」と叫びたくなるくらい可愛い雫を描いてもらいましたm(_ _)m
— 天祢涼@『境内ではお静かに 七夕祭りの事件帖』4月発売(5月には続編刊行) (@amaneryo_on_tw) March 2, 2021
リンク先の記事にあるように、今春、2作目文庫版、完全新作の3作目と2ヵ月連続刊行です。https://t.co/qeudicKt5x
天祢涼は基本的に、自分が考えたキャラクターとは一定の距離を取るようにしています。以前は感情移入することすら完全に排除していました。でないと独りよがりに陥ると思っていたからです。
さすがに最近は「それはまずい」と思って、ある程度は感情移入して、キャラクターと一緒に怒ったり、泣いたり、誰かを好きになったりしながら書くようにしています。自分の心を抉れない話が、読んだ人の心を抉れるわけないですからね。
が、それも「一時的な同化」であって、自分が考えたキャラクターの「熱狂的なファン」にはならないようにしてきました。前述のとおり、独りよがりになることを避けるためです。
この考え方が間違っているとは思いませんが、少し前に読んだあるマンガの作者さんが「●●(ヒロインの名前)かわいい! と思いながら描いている」みたいなことを書いてました。そして実際に●●はかわいくて、読者人気も高いのです。天祢涼も「俺の嫁!」と叫びたいくらい。
こういう成功例を見ると、一時的でなく恒常的に自分のキャラクターを愛しまくって、自重せず「俺の嫁!」と叫んでしまってもよいのかな、と思います……友風子さんが描いてくれる巫女さんは毎回かわいすぎて、自重するのも一苦労だし(笑)。
「俺の嫁」「私の婿」と愛情を爆発させまくった方がいいのか、一定の距離を置くべきなのか。正解はないと思います。というわけで、この記事も特に結論を出すことなく終わる。