小説家はデビュー後、「先生」と呼ばれることが多い職業です。個人的には、こう呼ばれることに居心地の悪さがあります。そんなたいした生き物じゃないからな。「『先生と呼ばなくていいですよ』とちゃんと言うべき」という先輩作家もいて、その通りだとも思います。
あくまで「個人的には」で、「先生」と呼ばれることに抵抗がない小説家を否定しているわけではありません、念のため。
でもヘタレなので、いちいち「『先生』と呼ばなくていいですよ」と指摘する勇気がないんですよ。さすがに版元関係者には言いますが、その場合も「俺が『先生』と呼んでるんだからおとなしくそう呼ばれたらどうだい、先生!?」と怒られないかドキドキしております。
それに書店員さんや後輩作家の中には「『先生』の方が呼びやすい」という人もいるんですよね。そういう人にも「『先生』と呼ばないで」と言う勇気はありません、ヘタレなので(繰り返すけど、あくまで「個人的には」です)。
なので、最近は「先生」と呼ばれても一、二度「呼ばなくていいですよ」と言いはしますが、以降はそのまま先方の判断にお任せすることが増えました。
「『先生』と呼ばれると舞い上がって勘違いしちゃうんじゃ?」という意見もあると思います。正直、その心配はありました。でも「俺みたいな永遠の駆け出し作家は『先生』と呼ばれてもたいしたことはない。『閣下』と呼ばれて一人前だ」と自己暗示をかけるようになってから、その心配はなくなりました。
というわけで、天祢涼の呼び方は「天祢先生」でも全然OK。一番しっくりくるのは「天祢さん」ですけどね。さすがに呼び捨ては嫌だけど。
おまけ
書店員「天祢閣下!」
天祢涼「閣下と呼ばなくていいですよ」
書店員「では、天祢先生」
天祢涼「はい、なんでしょう」
店でこんな会話を交わしてる現場に出くわしたら、お客さんはこわいだろうなあ。